断捨離狂騒曲

ぼくはミニマリストではないと思うのですが、ミニマリスト的傾向がありまして、なるべく物を増やさないようにしています。それはどんな「捨て本」にも書いてあることですが、気に入らない物を処分することで、気に入った物に触れる機会を増やすためです。といっても、しょせんは傾向にとどまってますから、人並みに物は持っています。ただ、引っ越しを機に家電製品を大幅に処分したこともあり、エアコンを入れない季節の電気代などは、1200円ぐらいだったりします。案外、困らないものですよ。

蔵書も、定期的に「入れ替え戦」をやってますから、研究者としてはかなり少ない部類に入るんじゃないでしょうか。でも、蔵書家であるより読書家でありたいと思っているので、とくに気にはなりません。というより、ぼくは基本的に本は借りずに買って読むのですが、この少ない蔵書でさえもとても読み切れず、未読本が山とありますので、定年のころに、未読本は、読むか手放すかで片付け、愛すべき既読本に囲まれ、お気に入りの本をゆっくりとかみしめながら読んで過ごせたらいいな、と思ってますが、まあ、そんなうまい話はないだろうと、一方で諦めてもいます。

ところでこの片付け好きの性格、思わぬ影響(というか被害)を与えていたようです。この春に卒業したゼミ生一同が、卒業の際に記念品を贈ってくれたのですが、「何を贈っても捨てられてしまう」と、かなり頭を悩ましたとのこと(――いや、さすがにそんな大事な物は捨てんぞ)。そして、これなら捨てられないだろう、と悩みに悩んで選んだのが、研究室前に掲げる、これ。

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もちろん捨てませんし、なかなか重宝しております。ぼくの部屋はエレベーターのない4階にあるので、訪問して不在だったときのダメージが大きいそうで、せめて所在を教えろ、との思いが込められているそうです。来年度、研究室も新校舎に移る予定ですが、そこにも当然、持っていきます。

さて、ここからが本題なのですが、板坂耀子先生の新著『断捨離狂騒曲』(文芸社)が出ました! もともとは、HP「いたさかランド」の前身にあたるブログで連載されていたものですが、すこぶる評判がよかったため、本として刊行する運びになったそうです。

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ぼくもブログ連載のときから拝見しておりましたが、この度、本の状態で読みますと、びっくりするぐらい、読み味が異なりました。そして気がついたのは、ああ、これは「タテ書き」の文章だったのか、ということ。WEB上でもたのしんで読んでおりましたが、それでも、板坂先生のお書きになる他のブログ記事とくらべると、じっくりと息の長い、リズムの異なる文体を選択されているように思ってましたので、WEB上だと、どこか薄い幕がかかっているような印象がありました。しかし、タテ書きで冊子体になると、おぬし、本性を現したな、といいますか、すべてが腑に落ちた印象です。

また、まとめて読みますと、話題のコンマリはもちろん、はしりの辰巳渚『「捨てる!」技術』(宝島社新書)から、『佐藤可士和の超整理術』(日経ビジネス文庫)や飯田久恵『「捨てる」快適生活』(三笠書房)など、それなりに「捨て本」を読んできたぼくからしても、これは新しい片付け術なんじゃないか、と思ってしまいました。

なにしろ、本書で扱う物の大半は、そもそも捨てていない。しかし、物に付随する思い出を、文字によって書きとどめること、つまり「物」語ることで、確実に「片付けて」いるのですから。そう、物を捨てたとしても、それはある意味、物質を目に触れない場所に(半永久的に)隠しただけ。物が持っていた歴史や記憶は、成仏できないまま中空をさまよっている。しかしそれに言葉を与え、言語化することではじめて、物は、捨てようが残そうが、本質的に片付くのです。

この非生物への感情移入、さすが板坂先生だなと感じます。というのも、ぼくが学部生のときのことですが、パソコンで原稿を打っているとき、ミスタッチをして、たとえば「りんごご」となったとき、前の「ご」を消すべきか後ろの「ご」を消すべきか本気で悩み、「後の方が新参の余計者だからそちらの「ご」を消すのが普通かも知れないけど、せっかく生まれた「ご」だから、以前からいる前の「ご」の方がその席を譲るべきかもしれない」など逡巡するとお聞きしたことがありますから、フォントにさえ感情移入する先生にとって、物に感情移入しない方がおかしいのです。

また以前、先生は、私はもともと素直で従順な性格で、ぶっとんだはちゃめちゃな母の影響を「素直に従順に」受けたので、こうなった、とおっしゃってましたが、お聞きしながら、それはこっちのセリフですよ、と心の中で突っ込んでおりました。ぼくもぶっとんだ師匠の影響を「素直に従順に」受けつつも、一方で我が凡庸さを自覚するしかないので、なまじっかのことでは満足できなくなってしまいました。本書には、板坂先生に影響を与えたご家族はじめの方々の思い出が、たくさん書かれております。

小説から学術書、新書をはじめとした入門書と、著作の数多い先生ですが、純然たるエッセイの出版というのは、はじめてではないでしょうか。いや、『動物登場』(弦書房)などはエッセイといえるかもしれませんし、とても読みやすいため、読者を選びませんが、それでもアカデミックな考察が随所に見られます。一方本書は、考察の深さ、思考実験の突飛さなどは残りつつ、身近な「物」を対象としているので、その「物」語りは、いよいよ万人に届くものになっていると思います。

あ、星野博美だ、と連想してしまいました。というか、順番が逆で、もともとぼくは板坂先生の文章と思考に親しんでおりましたので、そこに通じる感覚を、紀行(『謝謝! チャイニーズ』愚か者、中国をゆく)や身辺エッセイ(『迷子の自由』『のりたまと煙突』)、家のルーツの話(『こんにゃく屋漂流記』)で示してくれる星野博美に惹かれたのでしょう。それが今回、「本家」が身辺エッセイ+家のルーツの話を書いてくださったわけで、あったけどなかった、なかったけどあった本を読んだような、混濁したうれしい読後感を抱いてしまいました。

1500円(税別)と値段もとても手頃ですので、新ジャンルの断捨離本としても、絶妙のエッセイとしても、オススメです。

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