柏木隆雄『バルザック詳説』

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柏木隆雄先生のバルザック論の集大成、『バルザック詳説』(水声社)が発刊されました! これは名著『謎とき「人間喜劇」』(ちくま学芸文庫)に新たな論考を加えたうえで大幅に加筆修正されたものです。『謎とき「人間喜劇」』が現在、絶版になっているのは、まったくもってけしからんと思っていましたので、このようなかたちで装いも新たに、一般読者の手に届くようになるのは、誠に慶賀に堪えません。452頁2段組! このボリューム! この充実!

そして水声社といえば、『バルザック幻想・怪奇小説選集』『バルザック芸術/狂気小説選集』『バルザック愛の葛藤・悪魔小説選集』と、バルザックを魅力的な切り口で叢書化しているところですので、これ以上ふさわしい版元はありません。あとがきでも書かれておりますが、なんでも水声社の社長がたいへんなバルザック好きだそうです。

さて、目次は以下のとおり。★は『謎とき「人間喜劇」』に追補された章です。

 序章 活字に魅せられた男バルザック

 第1部 見つめる男たち

 第1章 黄金の夢の彼方に――『ファチーノ・カーネ』の幻視
 第2章 白い肩の向こうを覗けば――『谷間の百合』の意匠
 第3章 パリの高みから何を見たか?――ラスティニャックとリュシアン
 第4章 街角の視線――『鞠打つ猫の店』の構図
★第5章 人を見る、人を知る――『ゴリオ爺さん』におけるvoirとsavoir
★第6章 死者の目、生者の目――『シャベール大佐』における「まなざし」
★第7章 教会の一隅に祈る――『無神論者のミサ』の真実
 第8章 絵の具の堆積の下に――『知られざる傑作』の変貌
 第9章 独り者のコレクション――『いとこポンス』の面白さ
 第10章 虹の中の幸福――「トゥールの司祭」とは誰か?

 第2部 見つめる女たち

★第1章 無垢な瞳の魔法――『ユルシュル・ミルゥエ』の幻視
 第2章 黄金の火に焼かれて――『ウジェニー・グランデ』における光
 第3章 川揉み女の見たもの――『ラ・ラブィユーズ』、欲望の構図
 第4章 性を見つめる――『いとこベット』の深淵
 第5章 ハートのクイーンの失敗――『ソーの舞踏会』の男と女
 第6章 寄宿舎の窓から――『二人の若妻の手記』、女の変貌
 第7章 声とまなざし――『アルベール・サヴァリュス』のヒロイン
★第8章 不義にして富、高きは、我にあっては浮雲の如し――『禁治産』に見る中国
★第9章 クレオール母娘のたくらみと恋――『結婚財産契約』の裏側
 第10章 誘惑のディスクール――『県のミューズ』から『ボヴァリー夫人』へ

増補ということで、前著の完成度の高さから、『謎とき「人間喜劇」』に既出の論考はそのまま、ただ未収録の論文を加えたのかと思いきや、まず序章から大幅に加筆されており、なるほど前著は文庫本という枚数的制約のため筆を惜しんでいたところを、この度は存分に言葉を尽くして、蓄積された膨大な知識を惜しげもなく注いで連想の輪をつなげているのだとわかり、柏木先生らしさ――バルザック研究の第一人者でありながら、古今東西の文学に通じ、専門を自在に越境する姿勢――が、いよいよ明確になり、世界文学のなかでバルザック作品が通時的・共時的に正しく位置づけられたように思います。このあたり、できあがった本でさえも校正刷りとして加筆修正しつづけたバルザックと二重写しになってしまいます。

じっさい、バルザックほどの作家と真正面から対峙するには、同様のヴァイタリティーがなければ不可能で、輪転機のように書きまくったバルザックと、あらゆる文学作品をオートシートフィーダ付スキャナのように読みとりまくる柏木先生(圧倒的な速さで本を読み、かつ視覚情報として復元できる、いわゆる「カメラ・アイ」をお持ちです)とはまさに好一対です。

前著はもちろんのこと、追補された章でも、すでに論文の段階で読んだものもありますが、やはり何度読んでも清新。とくに『ゴリオ爺さん』『シャベール大佐』『無神論者のミサ』を論じた1部の5~7章は相互に連関し、圧巻です。

またさきに述べたように、既収録の論考も、あるいは大幅に加筆し、あるいは小さな修正ながら、たとえば引用に傍点が付されたり、強調で部分的にイタリックを使ったりと、より論旨が明瞭になる工夫が随所に凝らされ、かつ追補された章との関係でも加筆されているので、たとえば新収の『ユルシュル・ミルゥエ』論が『ウジェニー・グランデ』論へつながるなど、全体としてまとまりがさらに増しています。写真・図版の増補や入れ替えも大幅になされております。

それにしても、相変わらず梗概が「入ってくる」。世にある読み物のなかで、論文中にまとめられた作品の梗概ほど読みにくいものはなく、ただ論証のためだけに記述された退屈なあらすじに目をとおすのは、いつでも苦痛を感じるものですが、柏木先生のまとめる梗概は、不思議とするすると頭に入ってくるのですね。つまり、作品を言葉やプロット、背景の思想や文化など、様々なレベルで詳細に分析するけれども、切り刻んで殺す類のそれではなく、味わい、鑑賞するための分析であって、だからこそ梗概も死なず、それが論旨に有機的に作用して、作品に触発されて発現した論考、すなわちそれ自体が、鑑賞するに堪える新たな作品として成立しているのでしょう。

様々な文学理論を駆使して作品を解析することは否定するわけではないけれども、やればやるほどテキストから離れていく印象を受けてしまうことも多い。一方、柏木先生は、そのようなアクロバティックな方法論の本家本元、フランス文学をご専門としているため、当然、それらを知悉しながらも、あえて王道、すなわち、精読と多読の両立、テキストに即した注釈的読解の徹底でもって、おどろくほど豊かな成果を次々に示される。そして、作品の核心に迫る分析でありながらも、ぼくのような門外漢の一般読者にも、容易に理解できるわけです。これが何とか理論に拠っていたら、こうはいかない。なんて開かれた読みだろう。

「まなざし」への着目、これは前著から引き継がれたもので、柏木先生の研究の基本姿勢でもあるかと思いますが(『交差するまなざし』というご著書もあります)、バルザックはまったく、まなざしの小説家です。バルザックが『ゴリオ爺さん』で「人物再登場」という画期的な手法を思い付いたことはよく知られていますが、柏木先生は、加えて「小説家の視点」も獲得したのだと指摘します(1部3章)。

それにしても、一般には「退屈」とされるバルザック小説の長々しい書き出し、ここにどれほど豊かな小説的技巧が凝らされているかを、そしてそれをいままでどれほど見逃していたかを、本書を紐解くと思い知らされる。柏木先生という見巧者によって浮かび上がる数々の意匠、このまなざしがほしくなる。メタレベルを看破する視点の軸は、どこにあるのだろう。あるいは描写の具体を捨象して抽象レベルでとらえ、象徴性を読みとり、イメージの連関をつなぎとめ、対偶表現を看破する。この名人芸は生得のものでしょうが、こちらは意識的に倣って身につけたいものです。

現在、日本のバルザック研究は、本家フランスの研究者に伍して、対等に議論をする状況にあるという。これは彼の地でフランス語によるバルザック研究書を発刊し、当地の研究に影響を与えてきた柏木先生の功績によること、疑いない。この営み自体に、研究者として、あるいは文化に携わる者として、学ぶべきことがあまりにも大きい。

完成度を増したこの名著が、分野と空間と時代を越えて、長く読み継がれんことを祈ります。しかしフランス語に訳して当地で発刊されないものかな。クールジャパンもいいけど、こちらの方がよっぽど有意な文化輸出だと思うのだけれど。

この記事へのコメント

  • 柏木隆雄

    『こう読めば面白い フランス流日本文学』に続いて、「北窓書屋」主人評する拙著『バルザック詳説』論を掲載していただいてまことに恐縮の限りです。ここまで精緻に、また心を込めて評していただけるのはまさしく著者冥利に尽きますが、過褒あえて当たらず、内容に精粗があるのはまことに恥ずかしく思われます。『バルザック詳説』20章のうち、3篇は拙著La Trilogie des Célibataires de Balzac, 1983, Nizet,に、8篇は拙著Balzac romancier du regard, 2000, Nizetに、そして『禁治産』論は"The Balzac Review" No.1 , 2018, Classiques Garnierに掲載しており、一応欧米からの書評もあります。
    2020年02月03日 11:43
  • 北窓主人

    >柏木隆雄先生

    拙ブログにコメントいただき、誠に光栄です。また、貴重なご指摘、ありがとうございました。

    20章のうち、計12篇はすでにフランスでも公にされ、評価されているとのこと、詳細をお知らせ下さり、誠にありがとうございました。

    今回のご著作は一緒全体としての見事な構成、各章の有機的な連関が卓抜ですので、こうなりますと、残り8篇(序章分を加えて9篇)を加えた、完全版をフランスの読者にも届けたいと欲が出てしまいますが、それは所詮、苦労を知らぬ外野の意見、どうぞお見逃しください。
    2020年02月04日 08:34